ボクは昭和40年の早生まれである。小学生の頃に「釣りキチ三平」を見て育った。
「釣りキチ三平」には一平爺さんの和竿作りが度々登場するが、それを見て竿師になってみたいと思った事もあった。
中学に入ってから渓流釣りに行くようになった。高校の時に加藤須賀雄著「かげろうの釣り(つり人社刊)」や山本素石氏の本を見てから「テンカラ釣り」に興味を持ち、一シーズンテンカラ釣りのみで費やしたこともあった。
それらの本には、てんから竿には竹竿が良いということが書かれており、いつかは欲しいと思った。


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- 2007/02/07(水) 20:59:44|
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昭和58年に上京したボクは東京都内の老舗釣り道具店に就職した。
その翌年、日本渓流釣連盟が「渓流」という機関誌を発行した。
勤めていた店にもその冊子を置くことになったのだが、その表紙写真を見たボクはぎょっとした。まるでゴジラのような顔なのだが、よくよく見るとイワナの顔のUPなのだ。いったいどれくらいの大物なのか。スゴイ迫力の顔だ。
その時に「秋月岩魚」という写真家の存在を知った。
その翌年、秋月岩魚さんがボクの勤めている釣具店を訪れてきた。
この稿を書くにあたりいろいろと書物を引っ張り出してみたら、先程の冊子の間に秋月岩魚写真展「釣人心象」のポストカードが挟まっていた。確かそれを届けにいらしたと記憶している。
その時のボクは会話らしい会話をしておらず、秋月さんもお忙しいようですぐに帰られてしまった。今にして思えばとても残念だ。
ちょうどその頃、釣りの本には必ずといっていいほど秋月さんの写真が載っていた。

ボクが東京に居た四年間のうちの後半2年間は渓流釣りだけでは飽きたらず沢登りまで首を突っ込んでしまった。
その頃はボクも幾度か紙面に登場したことがあった。
そのうちの一度、山形の源流釣行の際にプロカメラマンの岡田昇さんが同行することになった。この時も岡田さんとの会話はあまり記憶がない。彼の卓越したクライミング技術で絶壁の途中から自分たちの遡行中の写真を撮影してくれていた。

その数年後、今度は源流仲間の祝いの席に呼ばれ、今度は津留崎健さんと会った。
その頃はつり人社の「渓流◯◯」という源流紀行が中心の本が注目されていた。
この本には「渓流'86」以降から必ず津留崎さんの写真が掲載されており、迫力のある写真が目を引いた。
津留崎さんとお会いしたときも挨拶程度しか交わしていないのが残念でならない。


当時のボクは餌釣りで、スナップ写真くらいしか写真を撮るということはしなかった
その頃のボクは釣りの本を見ても、ポイントとか魚の大きさとかのほうに興味があったので特段写真に興味を覚えたわけではないが、必然的に写真の美を刻み込まれていたような気がする。
1999年、フライフィッシングを始めるようになってから、釣った魚をリリースするということが当然のようになった。
折角の想い出を残したいと思い始め、カメラを携えるようになった。
その時偶然にも釣出版社のプロカメラマンHさんと知り合うことが出来た。
彼からはいろいろなお話しを聞かせていただき、写真の奥深さを気付かせていただいた。
それからというもの、綺麗な写真を撮るためにさまざまな本を見た。
Sawadaのマインドアングラー誌に載っている写真や「日本の巨大渓流魚」などは迫力ある魚の写真が多くて憧れた。
それから、秋月岩魚さんの写真集や津留崎健さんの写真集なども買った。
秋月さんの写真が多く載っている「ヘッドウォーター」なども探し出して購入した。
他にも高野建三さんや佐藤成史さんの本も買った。
さらに構図や露出、絞りなどを勉強するためにカメラのハウツー本なども何冊も見た。


おかげでなんとか人に見せられる写真も撮れるようになってきた。
プロとアマには歴然とした違いがあるのだが、素人でも偶然良い写真が撮れてしまうことがあるから恐ろしい。
技術的にプロとアマには雲泥の差がある。プロカメラマンのHさんからの一言は今でも忘れない。その事についてはここでは語らないが、プロは思っている以上に凄いんだと思い知らされた。
フライフィッシングをするようになったおかげで写真も趣味に加わったわけだが、自分で釣り上げ、その魚が綺麗な写真に撮れているとき、釣り上げた時と同じくらいの喜びがある。
美しい魚は綺麗な写真に残しておきたいという願望があったおかげでたくさんの写真を残すことになった。失敗写真を見てがっかりすることも多々あるが、過去の写真をあらためて見直すと以外と「おっ!」と感じる写真もあったりして楽しめる。たぶん自分の欲目なんでしょうけどね。
良い写真が撮りたいから、重くても一眼レフは持ち歩く。釣りも写真もやめられないですね。
- 2007/01/02(火) 00:03:06|
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